――――――――【無題】Nightmare―――――――――


正体の分からない恐怖ほど、精神力に訴えかける物は無いと俺は確信している。


『…ショルキー』
聞きなれた声。見慣れた格好。表情はよく見えないけれど、確かにKKは其処に居た。
『ショルキー』
何度も呼ばれる名前。叫んでも届かない声。手を伸ばせば届く距離に居るというのに。
『……    』
寂しそうな笑顔。聞きたくない言葉。声を掛ける間もなく、KKは漆黒の闇へと消えてしまう。



――――――――――――最近、酷く嫌な夢を見るんだ。




「ショルキー?」
「…っぁ嗚呼。ごめん、ぼうっとしてて」
ハッと我にかえり、声の主に返事を返す。
もちろん此処は闇の中などではなく自分の部屋で、今俺を呼んだのは紛れも無くKK本人である。

「最近良く眠れて居ないんじゃないのか?」

KKはソファに座っている俺の隣へ腰を下ろした。
深刻そうな声色だが表情はいつもとさして変わらず、ほんの少し安堵を覚える。
目の前に置かれた温かい珈琲の湯気に導かれるように口をつけると、仄かな苦味が身体に染み渡った。
…俺の考えすぎ、かな。
夢の中とはいえ、去り行く背中に不安を覚えずにはいられなかった。
KKが何処かへ行ってしまう気がしたんだ。俺に何も告げずに。

「そんな事、無いさ。ここ数日ずっと仕事詰めだったからきっと疲れてるだけだよ」

半分は自分へと言い聞かせるかのように、心の中で何度も何度も繰り返す。
ただの気の滅入りだと。大仰な被害妄想だと。
適当な理由をつけて自分を誤魔化した。

「あんまり無理はするなよ?」
「嗚呼、わかってる。お前こそ最近あまり家に帰ってないクセに良く言うよ」
「…そりゃあ、アレだ…最近の担当が夜間の清掃業だからナァ」

曖昧に逸らされる目線。KKが俺に何か隠しているのは薄々気づいていた。
けれど言おうとしない事をわざわざ聞き出そうとする程好奇心旺盛でも無いし、
何か隠しているならKK自身から言い出してくれるのを待とうと思っていた。
物分りの良い割り切った思考と駆け引きだけが俺の生き方であり手段だけれど、今回ばかりはそうもいかない。

…いっそ、自分から離れてしまった方が楽なんだろうか。

でもKKの居ない生活なんて考えられなくて、今でさえ帰って来ない夜は寂しくて。
いってしまえばソレはとても簡単な事だろうけど、
女々しい程にKKの仕事に対して嫉妬さえしてしまう自分には不可能な事くらい分かっていた。

「…駄目だろう。睡眠と食事はしっかり取らないと、そのうち倒れたらどうするんだ」
「その言葉、そのまんまお前に返してやるよ。人の心配してる場合じゃないだろ」

くっくっと低く喉が鳴る。
こみ上げた笑いを堪える事が出来ずに小さく笑いを漏らすと、
つられて笑ったKKの笑顔は昨日と変わらないはずなのに、俺の心には喪失感だけが残った。
いつかこの笑顔さえ、俺の目の前から消えてしまう時が来るのかもしれない。
そう考えると、息苦しいような錯覚さえ覚える。


「手。貸してくれないか」
「手?」
「そう。手」

差し出された右手は硬く、スッと延びた指先と掌には肉刺が潰れた後も数箇所見受ける事が出来た。
浮き出た血管が脈打つ。手首に付けられたリストバンドも外し、KKの手を自分の両手で包んだ。

「何する気だ?」
「いや…」
「襲う気?」
「馬鹿言うな」
「じゃぁ何する気なンだ?」
「…元気でも、送ってやろうかと思って。ね」

咄嗟に口から出た理由は自分でもあんまりだと思ったが、言い直すのも気が引けてそのまま押し通す。
握っても擦っても無抵抗なKKの掌を数分程、弄り倒して開放した。

「このリストバンド、貰って良い?」

せめて…何かヒトツでもKKの物を手元に残しておきたかったんだ。
いつか消えてしまっても、思い出すきっかけになるような物を。
俺はこれ以上望まないから、傍に居てくれるだけで良いから。
どうか、どうか。

「そんなモン…持ってても何の役にも立たネェっての――――――…どうせなら、このくらい持っとけや」

乱暴に左手を引っ張られバランスを崩した。
KKの胸に倒れこむ形になり、体制を立て直そうとしたけれど、左手が固定されているようで身動きが取れない。
「け、KK…?」
やっと離してもらえた左手を見ると、銀色のリングが薬指に輝く。
宝石も模様も何もついていないシンプルすぎるシルバーリングだったけれど、
今の俺にとって、世の中のどんな装飾品より価値があると思う。

「婚約指輪にしては装飾が寂しすぎるか?」

「そんな…っ事、無い」

「なら、持っとけ」

「…有難う」

「うん」

暫く続いた沈黙がもどかしくて、ふと見上げた窓から見えたのは、様々な色彩がブチまけられたような空の色。
鮮やかすぎる色彩は目に痛すぎて、精神に訴えかける色の魔法は解けてしまった。


たとえまた、恐怖に縮こまる夜が訪れたとしても―――――…KKが傍に居てくれる限り、俺はきっと大丈夫だと思う。

穢れた世界は、白い雪で隠してしまおう。真っ白な雪が、広く深く全てを覆い隠すまで。




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まだ、起きてもいない事に対して怯える日々はもう十分だ。
普段見る事の出来ない君を見れただけで、今日がとても充実していたと断言しよう。

              
              12.21  七弦
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